あなたが裁かれてしまう本当の理由〜引き寄せの法則〜

今日、誰かに対して腹を立てて何か言ったりしました?

色々ありますからね。ストレスフルの世の中です。

人を裁くな。人の裁きを受けるのが嫌なら。 

これはリンカーンの名言だそうです。

そんなリンカーン自身が大統領になる前は、とても裁くことが好きな人間だったんですね。

かなり有名な話ですが、気に入らない人を誹謗中傷した手紙をわざと道に落として見知らぬ人たちに知らせようとしていたそうです。いまの時代ならネットに書き込みをしていたんでしょうね。

人を裁く人と裁かれる人は、正反対の立場のようにうけとめられることが多いですが、実はこれも引き寄せの法則で裁くと裁かれるは紙一重なんですね。

よく仕事でいつも叱られている人が、プライベートで外食に行ったときなど横柄に人を叱ったりしてますよね。

これも裁かれる人から裁く人に変わっただけのことなんです。そして自分からトラブルを引き寄せているんですね。

このグルグルした循環に気づいた人は、裁くことを辞めていくのだと思います。なぜなら、自分が裁かれたくないからです。引き寄せないための離脱です。

私も最近、同じような経験をしました。

ある神社にお参りに行った時のことなんですが、当然ですが鳥居の下を通りますよね?

その通り抜けるところで、ある見知らぬおじいさんから「鳥居の下を通るな!!!」とすごい声で怒鳴られたんですね。もちろん端っこを通っていたにも関わらず。

これってやられてわかったんですが、人が人を裁くということはとても傲慢だなって思ったんです。

だって神社って誰もが入ることができる慈愛の意味もありますよね。
でも、その前で人間が人間を裁こうとしているのは、やっぱりおかしなことです。

そんな出来事があっていろいろ考えました。
私も裁く裁かれることを自分から引き寄せていたと気づき、「自分は人を裁かない」と決めたんですね。

日々の生活では外注したものの出来が悪かったり、配送が届かないなど色々な裁きの対象は現れます。

まるで私に天は試験をしているのか?と思うほど。

でもよく考えたら、そのようなサービスを提供している方々はきっと毎日のようにだれかから裁きを受けているんですよね。

そう、この世の中は私じゃなくてもいくらでも裁きを下したい人はいるんです。

そして裁く、裁かれるの立場から身を引いてみると、裁かない裁かれないという居場所があることに気づきます。

そこはとっても平和です。誰も他者を裁かないし裁かれないからです。

だから、よく周囲の人たちは変な人ばかりだと思っている時は、自分から裁く裁かれるところへ引き寄せられて行って行動しているんですね。

よく考えたら、多くの人たちは誰も自分を裁こうとなんてしてない、そもそも人はそれほど人を注意して見てないってことなんですね。

たまに自らだれかを裁こうとする人が現れたのであれば、それは出会い頭の事故のようなものなので、急いでその人から逃げたら良いだけの話なんですね。

そこで腹を立てたり、対決するってことは、この裁き裁かれる土俵に上がってしまったということになるんですね。

私たちが裁きをしなくても、きっと私たちは天からのチェックは受けているはずですから焦らなくても良いのだと思いますよ。

今日の易カード

天水訟(てんすいしょう)

争いごとに巻き込まれるという説明がありますが、天水訟の訟はまさに訴訟の訟です。

すでに問題は起きていて感情的になっている状態。つまり、こうなったら訴訟に持ち込むしかないという意味です。

私たちが生活していると、取り上げればいくらでも訴訟のタネが転がっているのかもしれません。

でも、なぜこのような訴訟にまでいく場合とそうでない場合があるのでしょう?

この天水訟は、上の卦が天で下の卦が水、つまり天の気の強い性格と水の気難しい性格がぶつかった時にこのような訴訟のようなところまで行ってしまう可能性が高まるんですね。つまり、相互作用なんですね。

また水は自分で、天は相手ですから、どちらかがその態度を弱める、変えることができたらそこまで争うようなことにはならないと思うんですね。

で、私は自分の気難しい性格を少し弱めること、つまり裁くことをやめることで、争いやそれに伴う嫌な気持ちを捨てることができたのかもしれません。

大事なのは、争いが起きる相手を偶然にも選んでしまったことに「やっちまった」という軽い反省をすることと、今後はその関係をとにかく長引かせないことが裁くとか勝つとか負けるよりも何よりも大事なんだと思います。

以上で終わります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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